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誰がなんと言っても韓国・韓国語が大好き(文章:Kさん)2005.4
いつかは行ってみたいとずっと思っていた韓国語学留学に3月行ってきました。韓国教育文化学院での、春の3週間コースに参加しました。7年も韓国語をやっている方や、大学で韓国語をとっている人と同じクラスになってしまいました。お陰で私は、授業についていくのがやっとでした。それでも、4,5日目ともなるとなんとか耳が慣れてきて、余裕も出てきました。9時から1時まで韓国語だけを使っての授業は相当効果があったように思います。また、クラスメートが、とても熱心な人たちばかりだったので、私にはとても刺激になりました。 今回、あらためて基本の大切さを知りました。そして、スギ(書くこと)、イルキ(読むこと)、トウッキ(聞くこと)、マラギ(話すこと)ムンポ(文法)をバランス良く学ぶことが重要だと感じました。
とにかく宿題が毎日沢山でました。なんとか韓国人の友達に手伝ってもらって、こなすことができました。短い韓国生活だったので、宿題のために遊ぶ時間をけずってしまっては、もったいないと思ったからです。宿舎は、学校で紹介を受けた女性専用のコシテル(司法試験を受ける人が借りる部屋)で過ごしました。1月まるごと借りきって過ごしたので、すっかり住人になった気分を味わいました。宿舎の場所はカンナム(江南)地区のアックジョン洞という場所でした。お金持ちがたくさん住んでいる地域で、高級車がいつもたくさん並んでいました。ガヤガヤした市場のようないままで抱いていた韓国のイメージとはまったく違う街でした。15分ほどの通学路には、おしゃれなカフェが並び、芸能人たちがよく目撃されるロデオ通りも毎日歩きました。残念ながら芸能人には誰にも会うことが出来ませんでしたが、友人と入ったカフェはヨンサマがよく来るらしく、私たちの入るちょっと前までいらしていたそうで、びっくりしました。素敵な人とデートしたいような上品なカフェです。デパートでは日本製のシャンプーやふりかけ、カレー、お菓子などが日本の3倍ぐらいの値段で売られていました。「どのカレーがおいしいですか?」などと質問されたりして、日本製の商品は人気がありました。この地域の人たちが、高級品として買うのでしょうか? 放課後は、映画、料理教室、韓紙工芸、ミュージカル鑑賞など、盛りだくさんでした。なかでも初体験の韓紙工芸は、韓国の伝統工芸でとても美しく、繊細なものでとても気に入りました。
週末を利用して、チョンジュ市(清州)まで旅行しました。高速バスで1時間半、福島にいらしたキム・イクカン先生の招きでした。先生は福島の私の家にユネスコ招聘のホームビジットでいらしたことがありました。その時に一緒にいらしたソウル在住のリュウ・ジェジョン先生と、私の友人のキム・ミエさんと一緒の楽しい小旅行でした。雰囲気が福島市ととてもよく似ていたのでそれだけでもうれしくなりました。歴代大統領の別荘としてつかわれていた、チョンナムデまで足を伸ばしてきました。3人とも韓国語で話すので、私は相当ヒアリングの訓練になりました。お陰でますます言葉を学ぶ意欲が増しました。キム・イクカン先生は本当に良くしてくださり、ソウルに帰ってから素敵な自作の詩を贈ってくださいました。韓国人は情が厚いといいますが、本当にいい方に出会って、幸福な時間を過ごしました。また福島にきてくれることを約束しましたので楽しみです。 キム・ミエさんが教えている日本語学校の生徒さんたちにも会いました。生徒さんたちは、本物の日本女性に会ったのは私が初めてのかたが多く、まるでアイドル並みの人気でした。自己紹介は韓国語でしたのでミエさんにバッチリだと褒められました。キブニチョアッソヨ(いい気分でした)。みなさん初級でも日本語が上手でした。私は、負けられないなと刺激を受けてきました。また会いたいです。 韓国の高層マンションはアパートと呼ばれていますが、何箇所かのアパートに訪問しました。当然ですが、どこもオンドルで、リビング、ダイニング中心にいくつかの部屋のドアがあります。日本の廊下というものはありません。無駄がなく家族が1箇所に集まりやすいように思えます。広さはまちまちですが、どのご家庭もすっきりとかたづいていて、余計なものがありませんでした。地震がないためか、高層アパートにすんでいても不安はないとのことでした。 私は、2階建ての住宅に住んでいるので高い所からの眺めはとても気持ちよかったです。
私が韓国で短期留学中(2005年3月12日~4月2日)、竹島(韓国では独島)問題で大騒ぎでした。日本にいる家族、友人からは心配のメールや電話がきました。実際、韓国にいて危険を感じたことはありませんでした。でも、会う人会う人に意見を求められたり、トット(独島)は韓国のものだと力説されたりして、どうしたらいいか分かりませんでした。本音を言いますと、なんとなく不快な感じを受けたこともありました 私のことは大好きだが、日本は嫌い、または日本政府は嫌いという友達もいました。 朝、晩のテレビニュースではドクトムンジェ(独島問題)を大きく扱っていました。「日本は、悪い国だ」と、怖い顔で話す小学生がいたのでショックでした。きっと、知り合いに日本人は一人もいないのでしょう。日本の息子が電話をくれて「ママ、何で韓国にいるの?日本のこときらいな国でしょ。やめなよ」と、不安がっておりました。息子はテレビのニュースで、韓国の様子を見たそうです。わたしは絶句するしかありません。「ママが、知っている韓国の人はみんなやさしいよ。だからそんなこと言わないで」と、返事しました。 そんな中でうれしかったのは、いままで日本がきらいだったけれど、あなたと会って話して好きになったという、人がいたことです。個人レベルでは、みなさんとても友好的でした。やさしい人や感動的な出会いばかりです。国同士の複雑な問題があるとは信じられないくらいでした。私は自分の経験から息子にも韓国人のお友達を作るべきだなと思いました。
友人のお父さんの還暦祝いに招かれました。事前に祝いのことを知らされてなかったので、待ち合わせの場所に行って驚きました。ハンボック姿で友人が迎えに来ていたのです。ようやく還暦祝いパーティーだと知ったのですが、これが韓国的優しさなのですね。 ホテルの会場で、ご両親にみんなが、代わる代わる韓国式挨拶をしています。ドラマでしか見たことのない風景が目の前に広がっています。お客様は会社関係、親戚などざっと100人以上も集っていました。知っている人もいないのでちょっと心細かったけれど、前に座っている女性と話しました。お金をみんな包んできているとのことで、なにももってこなかった私は、外国人だから大丈夫よといわれました。めったに出来ない体験をしたと思います。この頃には、韓国にきてから2wぐらいたってましたので、相手の言っていることが、かなり耳に入ってきました。