コラム

韓国文化 「韓国の民話の世界」連載(最終回)


「春香伝」の主人公と召使いたち
   
 朝鮮時代のヤンバン(両班)の息子イ・モンニョン、(イ・ドリョンと呼ばれる)とキーセン(伎生)の娘ソン・チュニャン(チュニャンと呼ばれる)のラブストーリー「春香伝」は、口承伝統芸能のパンソリとして始まったともいわれる。韓国古典の傑作といわれるこの物語は繰り返し映画化され、韓国の国民的映画とも言えるものだ。日本なら「忠臣蔵」だろうか。2000年には、イム・グォンテク監督の映画「春香伝」があった。

■ 春香伝が生まれた町
 私は韓国のチョルラ(全羅)道、ナモン(南原)で10代の前半を過ごした。父の故郷であり、祖父母が暮らしていたナモンは「春香伝」が生まれたところだ。チュニャンは物語上の人物なのに、近くの村にその墓があり、祭祀が行われていた。不思議だった。
  祖父に聞くと、「心の中に実在したのじゃ」と言った。それだけ、チュニャンは人々に慕われていたのだ。想像上のチュニャンの絵まで描いて、クァンアンル(廣寒楼)という所にお堂をつくっていた。でも、イ・ドリョンの扱われ方は全く違う。墓もない。チュニャンの恋人役として存在するだけだ。なぜだろう。その理由は、祖父も答えてくれなかった。
  ナモンでは、毎年旧暦の4月8日、チュニャン祭が開かれる。私の中学生時代、学生の中からチュニャンとイ・ドリョンを選んで祭りに参加した。一年の内でもっとも華やかな行事だった。

■今も生きる男女観と道徳観
  「春香伝」は儒教が国教だった時代の物語だ。チュニャンというと、私は「貞操」とか「烈女」という言葉を思い浮かべる。朝鮮時代は、チュニャンのように一人の男性に操をささげ、命に代えても貞操を守り抜くことこそ尊敬に値するものだった。このような男性中心的な道徳が、物語の誕生から数百年たった私の幼少時代にも生きていた。
  「チュニャンのような女性になれ」。「春香伝」は、韓国人女性の貞操観を植え付けた教科書的な物語でもある。今でも女性の処女性が話題になり、異性との付き合いが男性中心的であることに変わりはない。
  また、「春香伝」は韓国女性にシンデレラ願望をもたらした。元キーセンの母を持つ女性と、代官の父を持つ男性が身分の違いを超えて恋を成就する。最近の韓国ドラマの多くが、白馬の王子の出現を夢見る女性を描いているのも無関係ではない。「春香伝」は、韓国人の男女観と恋愛観を知る上で最も大切な古典の一つだ。
  この物語のもう一つの大きな特徴は、両班と庶民という当時の階級制度の肯定である。主人公の男女二人には、それぞれに下男と下女たちが存在した。「あの人はヤンバン(両班)だからいい」とか、「サンノム(低い身分)だからだめだ」。私の祖父は、人を評するとき常にこういったものだ。

■パンジャとヒャンダン
  主人公の二人に仕える召使いの役割も見逃せない。チュニャンには、ヒャンダン(香団)という下女、イ・ドリョンにはパンジャ(房子)という下男がついている。二人の召使いは、主人たちの恋の橋渡し役をする。これがユーモラスで笑わせるのだ。
  民話では、このヒャンダンとパンジャの恋が語られることもしばしば。主人どうしと、彼らの召使いどうしが結ばれる話は、貴族的な場面と庶民的な場面の両方を楽しめた。召使いどうしの恋こそ面白おかしいという人さえある。時にはエロチックに、時には腹を抱えるほどおかしいことも。話し手の感覚が存分に発揮されるのは庶民的な場面だ。
  最近、ペ・ヨンジュンの主演した映画「スキャンダル」に似たような場面があった。放蕩男チョウォンに仕える下男とヒヨンに使える下女が、関係を持つシーンがある。主人を介して召使いどうしが結ばれるのは、彼らの行動範囲が限られていたからだろう。
  韓国のドラマや映画の中には、「春香伝」のように召使いではないが、主人公の周りにもカップルができることが多い。韓国ドラマに虜になっている日本人からよく質問されることの一つだ。そういえば、「冬のソナタ」でも脇役の男女がカップルになっていた。日本では「半径3メートル以内の人と恋仲になる」というらしい。「春香伝」の召使いが結ばれるのも同じ法則に従っているかもしれない。
   
 

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