コラム

韓国文化 「韓国の民話の世界」連載


チョンゲグリ
   
 「お茶でも飲もう」「お茶よりも、お腹空いたから何か食べたい」。昼下がりの恋人同士の会話。「じゃ、食堂へ行こう」「う〜ん、やっぱり、太るからお茶がいい」。「まったく君はチョンゲグリだね」と、男性があきれた顔で言う。韓国では、ちょっとした会話に、相手の言うことに何でも反対する人の意味で、「チョンゲグリ」がよく登場する。
チョンゲグリは、日本語の「天の邪鬼(あまのじゃく)」に当るだろう。でも、天の邪鬼に比べて、チョンゲグリの方が生活の中でよく使われていると思う。韓国では、子どもから大人まで「チョンゲグリ」話を知らない人はいない。日本の「瓜子姫と天の邪鬼」の話は、例えば桃太郎のようには広く知られていないように思う。韓国では、与党に反対ばかり唱える野党を皮肉ってチョンゲグリと呼ぶこともある。天の邪鬼と比べ、どこか愛らしくて憎めないから親しまれているのかも知れない。
   

 雨降りの日にチョンゲグリが鳴く理由を説明した話が親不孝に結びつけられている。韓国では伝統的に孝を重んじる。それだけに、この話はよく知られていて、親孝行を促す教科書のような役割も果たしている。特に、最後に母親の墓が流される場面は、韓国人なら誰もが共感せずにいられない。親の墓を守ることも親孝行と考えるからだ。
 最近、チョンゲグリは、必ずしも否定的な意味合いを持つだけではなくなった。例えば、「チョンゲグリ発想法」など、逆転の発想として肯定的な使われ方もする。株の投資でも、高くなった種目は売り、安い種目は買うといった、「チョンゲグリ売買方式」が言われるようになった。約90万部を販売してベストセラー入りした漫画「キャンパスのチョンゲグリ」の主人公は失敗ばかりしているが、常識の盲点をつく独特な観察眼で人気を博している。
 私も幼い頃、チョンゲグリのように母を困らせたことがある。高校に入るや母が亡くなってしまった。そんな私に、チョンゲグリの話は余りにも辛い。


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