コラム

韓国文化 「韓国の民話の世界」連載


コンジとパッチ
   
「コンジとパッチ」の話は、韓国人なら誰でも知っている。主人公コンジは心やさしい女性、その妹のパッチは欲張りで意地悪な女性の代名詞にさえなっている。
30年前、インチョン(仁川)から韓国南部の田舎に移った私は、冬の寒い夜、暗い道を歩いて、よく近所の先輩の家に出かけていった。夜ごと、近所の子どもがオンドルの床に輪になって座り、先輩の中の一人が語る「コンジとパッチ」などの話を聞くのだ。テレビなどなかった時代、それがどんなに楽しかったことか。
幼い頃、コンジとパッチの話を何回聞いても飽きることがなかった。中学生になり、村に電気が入ってテレビが普及するようになると、映像で見るだけになったのが寂しい。
   

この話の主人公コンジは、まさに韓国版シンデレラ。「コンジとパッチ」は、シンデレラ物語を韓国風に翻案したものだと言われている。いじわるな継母と連れ子、継子いじめ、靴がきっかけで身分の高い男性と巡り会うこと、めでたい結末など、二つの物語には共通する部分が多いのもうなずける。
でも、コンジとパッチの話には、シンデレラ物語に見られるカボチャを馬車に変えるなどの魔法はない。一方、水くみ、稲つき、機織りなど、韓国の農耕社会の伝統が色濃く息づいている。ヤンバン(両班)階級のウンォンニムが登場するのも偶然ではない。徹底して韓国的な特徴が織り込まれていたから、幼い頃の私でも夢中になったのかもしれない。
数年前、韓国で「愛と成功」というTVドラマが放映された。継母にいじめられながらも、いじけないで心根のやさしい長女と、実母に甘やかされ姉をいじめる次女が主人公だ。一人の男性をめぐって姉妹二人が競うが、最後は長女が愛を獲得する。このドラマは、コンジ・パッチとも呼ばれた。継母にいじめられるコンジを見て、視聴者は継母に怒り、次女を憎んだ。人々はコンジに同情を感じ、親近感を抱いたのだ。
ところが最近、コンジとパッチに対する見方が少し変化したようだ。小悪魔的なパッチに共感する若者が増えたという。昨年放映された「私のいとしいパッチ」というドラマでは、いじめっ子の代名詞だったパッチが、ついに主人公になった。心やさしい女性の代名詞だったコンジは脇役に格下げだ。
身勝手でおっちょこちょい、ひねくれ者でいたずら好きの主人公に対し、視聴者は憎しみよりほほえましさと共感を抱くのだ。心やさしい、人々に愛されることに慣れたコンジよりも、パッチの方があどけなくて正直だという解釈が若い世代に受けたのだろう。彼らにとって、パッチの方が自分たちに身近であり、親しみを感じる存在になったのだ。今は昔とは、よく言ったものだ。


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