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毎月第2第3金曜日連載
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  英語の先生が黒板に書いた詩(2005/4/1)
   
   今年、私の誕生祝いに韓国の友達が詩集を送ってくれた。高校時代から詩が好きだった彼女は、十年前に書いた詩が文芸誌に当選し、詩人になった。詩を書くことが最大の楽しみだという。

 韓国の出版界は小説より詩の方が優勢だ。大型書店には小説、随筆、ノンフィクションと並んで、詩のコーナーがある。日本の読書人も驚くほどだ。

 詩が韓国人の心情を代弁してきたと言えなくもない。恋人や友人に送る手紙や電子メールなどに詩を添える。だから、詩のベストセラーはすぐれた詩の教本であり、必読書なのだ。

 たまに韓国に行くと、書店に寄るのが私の何よりの楽しみだ。大量に本を買って日本に送る時、必ずといっていいほど詩集を入れる。私も詩が好きだ。

 「冬のソナタ」にも、詩を読む場面があった。ユジンが母校の後輩に「パク先生は声が大きくて恐そうに見えるけど、詩を朗読すれば大抵のことは許してくれるわ」。このシーンをみながら、高校時代を無性に懐かしく思った。

 高校に入ったばかりだった。新任の英語の先生が教室に入って来るなり、黒板に向かって一遍の詩を書き始めた。その時、私は詩の世界に出会った。黒板に書かれた詩は、韓国の女流詩人カン・ウンギョ(1945~)の「サランポッ(愛の掟)」(拙訳)だった。

去りたい人は去らせ
眠りたい人は眠らせ
あとの時間はじっと黙っていよう
あるいは花にむかい
空にむかい
墓にむかい
あせらずにじっと黙っていよう
(下略)

  この詩に接してから、去る(トナダ)、眠る(チャダ)、黙る(チンムク)、花(コッ)、空(ハヌル)、墓(ムドン)など、この詩の言葉が脳裏から離れたことがない。

 感情のコントロールなど考えられなかった少女時代、この詩は、片思いの相手に対する抑制された心情を表現しているように思えた。

 英語が苦手な私たちを、この詩が救ってくれた。英語の時間が待ち遠しくなったのだ。今度はどんな詩を教えてくれるのだろうと、いつも期待が膨らんだ。先生が教えてくれた詩は大人の臭いがした。早く社会に出たかった。たくさんの出会いが、夢が待っているような気がしたからだ。大人の世界に憧れていたのだ。

 昨年末、韓国に行った時、同級生と一緒に、この英語の先生にあった。食事をごちそうになった帰り道、「サランポッ」をそらんじた友達がいた。私たちは、この詩を完全に覚えていたのだ。

 詩の言葉は短く力強い。言葉は武器にもなる。時には、愛の告白にも、離別の宣告にも、人生論にも使われる。日本による植民地支配の時代(1910-45)、多くの詩人は、詩を独立運動の道具にした。その代表格が、1920年に発表されたキム・ヒョンジュン(金亨俊:未詳)の詩「鳳(ポン)仙(ソ)花(ナ)」である。

軒下にひっそり佇む鳳仙花
おまえのその姿が不憫でならない
おまえの姿が美しく咲いていたながい夏の間
きれいな乙女たちがおまえと戯れていた
(後略)

 他の国のものになった母国を鳳仙花に喩えている。この詩にホン・ナンパ(洪蘭坡 1897∼1941)が曲をつけた。国民の誰もがこれを歌って慰めとしたのだ。 歳をとるにつれ、詩の解釈も変る。「サランポッ」の詩に、生活の苦悩やぎすぎすした人間関係から解放された、無我の境地のようなものを感じる。

 好みの詩も変っていく。40を超えて、好きになった詩もある。キム・ナムゾ(1927~)の「ソシ(序詩)」もその一つだ。

遠く離れて戻らない人がいたら
もっと待つ人になりたい
より多く愛したからといって
恥じることはない
より長く愛したことなど
恥になるはずがない
幸い自分にその能力があり
できるなら先に愛し
より長く守ってあげる人になりたい
愛した人を憎むのは
あまりに哀しく恥ずべきことだ
忘れられない屈辱的な 思い出があったとしても
ひとときでも愛した人に
憎しみをいだくことなど
ないように願いたい

 
ちょん・ひょんしる
 
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