コラム

毎日新聞(福島版) 「暮らしの中の日韓」連載

 

日本語から韓国語に入った言葉(2004/3/23)
   

「タライがいるの?」。キムチ作りの時、大きい盥(タライ)を見て、近所のSさんが尋ねた。「えっ、日本語でもタライ?」。驚いて尋ねる私に、Sさんも驚いた。日本語と韓国語で同じタライだとは二人とも知らなかったのだ。盥は死語になりつつあるが。
日本語から韓国語に入った言葉を意識し始めたのは、日本に留学した20年前からだ。当然、韓国語だと思っていた言葉が日本語と知って、ずいぶん戸惑ったものだ。例えば、ワリバシ、ベントー、タマネギなど。
90年頃、韓国で洋服屋に行った時のことだ。「ソデナシって日本語なのよね」と私が言うと、「いや、韓国語ですよ」と、店員が反論した。日本語だとは知らずに使っている人が多い。「ソデナシ」も日本では最近、ノースリーブと言うようだ。
20世紀前半の約40年間、韓国は日本の植民地だった。私たちの祖先は、韓国語を使うことを禁じられ、学校や日常生活でも日本語を話すよう強制されたのだ。そのことは、韓国人には屈辱以外の何ものでもない。 
1946年、韓国の文教部(日本の文部科学省)は、国語「純化」運動を始めた。日本語が紛れ込んだ韓国語を「純化」する政策である。「気を付け」は「チャリョ」、「休め」は「シオ」、「お弁当」は「トシラック」、「(お)しぼり」は「ムルスコン」のように、日本語を韓国語に置き換えていった。1976年になっても、行政と法律に関する2万以上の語彙が「純化」の対象だった。
言葉はすぐには変わらない。新しい語彙が大衆に根づくまでには相当の年月と努力が必要だ。今でも、ウドン、オデン、ヨウジ、ザブトン、ワイロ、オヤブンなど、元が日本語だとは知らずに、普通に使われている語彙が少なくない。
日本の植民地統治が始まった当時、人々はサントゥ(まげ)を結い、チマ・チョゴリを着ていた。洋服も日本人が朝鮮半島にもたらしたものだ。「くつ」が韓国語で「クドゥ」なのもそのためだ。「足に履く」という意味の「シンバル」が韓国の固有語だ。元が日本語の専門用語や職業用語などに「純化」されていないものが多いと言う。キジ(生地)やカマ(窯)もその一例だ。いや待てよ。カマはもともと韓国語である。

 
   
 
イラストは、韓国の国民大学視覚デザイン科2年生、チョン・ウンジュさん

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