薬山のつつじ 金 素月 |
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진달래의 꽃
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32才の若さで夭逝した詩人・金素月(キムソウォル)の代表的な名作です。(訳・ちょんひょんしる) 「安達太良山の残雪が兎の形になったら種まきだよ」と、近所のお爺ちゃんが教えてくれた。新緑の濃淡に色どられた山々をながめながら、韓国の春を想う。 ソウルの春は、自然のビッグパレットのように、ツツジ、さくら、雪柳、ボケ、レンギョウなどが一斉に咲く。ソウルから南へ列車で4時間ほどの私のふるさと、ナモンではチンダッレコッが一面に広がる。 チンダッレはつつじ、コッは花だ。近くの山一面に燃えるように赤くチンダッレが咲いていた。私にとって春はチンダッレでなければならない。 幼い頃、チンダッレを摘んで食べた。「チャムコッ、摘みに行かない」。食べられるチンダッレの花はチャムコッといった。チャムは真、コッは花の意味だ。放課後、友達を誘って、チンダッレを摘みに行くのが楽しかった。花びらをかむと、甘酸っぱい味が口の中に広がる。食べられない花はケコッと言った。ケはつまらない、本物でないという意味だ。花びらを摘んで持ち帰り、祖母にファジョンというお菓子を作ってもらった。ファは花、ジョンは日本でチヂミの名で親しまれている、お好み焼きのような食べ物だ。もち米粉を塩味だけを使って水でのばし、厚さ1センチ直径5センチぐらいの丸いビスケットのように作る。フライパンで両面を焼き、花びらを乗せるとできあがり。美しい花びらがついたファジョンは春の味覚だ。チンダッレコッは、私だけでなく多くの韓国人が最も親しみを感じる花だ。 キム・ソウォル(1902-1934) の詩「チンダッレコッ」を知らない韓国人はいないだろう。私が高校生だった時、国語の教科書に載っていたし、今も載っている。真っ赤なチンダッレコッは、血の色に喩えられる。去っていく人の足に踏まれるチンダッレコッは、ずたずたにされた女性が流す血の涙なのかもしれない。私の母親の世代ぐらいの韓国女性の多くは、そんな生き方をしていた。チンダッレコッの燃えるような真っ赤な色が、いとしい人と別れなければならない女性の切々とした思いを象徴している。 小学校4年生の頃だった。誰もいない台所の奥でカメを見つけ、蓋を開けると、花の香りがつんと鼻をさした。なめると甘ずっぱくておいしい。母が作ったチンダッレコッ酒だった。少しのつもりが、コップ一杯も飲んでしまった。酔った私は、ちどり足で庭をうろついて、家中の者に笑われた。大きくなるまで、近所の人に冷やかされたものだ。チンダッレにまつわる思い出は多い。いま福島にいて、ふるさとの春を想う。」(ちょん・ひょんしる) |
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